松浦弥太郎さんとか、雅姫さんとかいとうまさこさんとか。 そういう感じが好きなひと、一言で言えばセンスのいい暮らし、ていねいな暮らしみたいなのをしてるひとに憧れたりとか、そういうのに努めている人種というのがいます。 わたしはちなみに、たぶん他のひとからみると、すごくおしゃれなものが好きで、洗練されたセンスのいい暮らしをしていて、ていねいにていねいに日々を紡いでいる、ように見えることがあるのだけど、この部分は今までの人生のなかでも結構テーマでしたね。 テーマというのは、ひとことで「美しい暮らし」を追いかけることの意味であるとか、その弊害みたいなものをよく知りながら、その中に感じる矛盾のようなものを見つめていた感じ。 いつか若い時は、ただひたむきに、「ていねいな暮らし」を追いかけた時期もあった。 そして何かある時期に、なにかがおかしいぞ? ということに気づいたのです。 なんというか、わたしは確かに、ある意味ていねいに、ていねいに生きてきたのですね。単にどんくさいということもあるのだけど、なんというか生きづらかったし常に苦しかったので、それを解消するために好きなものに囲まれるように努めたりとか、外国で暮らしてみたりとか、家の中には本当に本当に気に入ったものしか頑として置かない。と徹底的にこだわったりとか。 そういう生き方をしてきた。 でも幸せではなかったのです。 なんだか、いつまでも望みが叶う感じがしなかったし、美しいものに囲まれていても深い部分で満たされない何かを抱えていて。 自分の世界がはっきりとあって、好きなものごとがしっかりあって、自分は他のひととは違う。という強い自己イメージがあるひと。まあ、変わったひとたちというのはたくさん居ますけど、そういう中に放り込まれるたびに凄く違和感を感じるようになりました。 なんだろう?これは?と。 音楽の世界とか、ファッションやアートの世界とか、それ以外でもいわゆる「おしゃれ」な風変わりな人種に遭遇することはとても多かった。なぜなら自分がそういうものが好きだから必然的に個性的なひとが集まる世界に近い場所でうろうろすることになる。 まあ音楽とかファッションやアートは、奇抜なだけでむしろ心に闇を抱えているなんてひとはざらだけど、わたしが特に疑問を感じながら接することになったのが、一番上にかいた、「ていねいな暮らし」的なものを営んでいるひとです。 ダボっとしたテロンテロンのリネンのワンピースみたいのを着て、(ベージュかカーキか辛子色かみたいな)オーガニックという言葉に非常に敏感で、ヒールの靴は一束も持ってなくてナチュラルな風合いのバッグだかを持っている感じ。で、親子でおしゃれなの。 こういう感じのひとを見ると、いつも”一見”穏やかそうで、優しそうで、自分の世界をしっかりと持っていて、ていねいにていねいに人生を営んでいる、はず。なんだけど。なあ。 といろんなことを思うようになりました。 感受性が強く、いいものが嗅ぎ分けられるというのはある意味能力で、それ自体はポジティブなことなのだけど、わたしがなんとかしたかったのは、比較的「自分を強く持っている」人種のほうが、大抵こだわりが強い分生きづらいとか、自分が強くて人間関係でつまづいていたりとか、そううのを抱えがちであるというそういう部分だとおもいます。 自分がまさかそれを作り出しているとは、20そこそこの若かった時期わたしの場合は全然気づいてはいなかったんだけど、「わたしは美しいし賢いしセンスもあるし才能もある、」 それなのになぜわたしはいつもうまくいかないんだろう? なぜわたしは評価されないんだろう? なぜいつも嫌な人間関係ばっかりもたらされるんだろう? それで面白いところが次なんだけど、こういう人種というのは、現実のそういう世界で対人間につまづくと、逃げ場があるのです。 本にアートに音楽に、ていねいな暮らし。作家さんが作った一点ものの器。 松浦弥太郎さんのような文化人の織りなす世界にぴゅっと逃げ隠れてしまうのですね。 すると、すうっと落ち着いて息を吸って吐くののが楽になり 「やっぱり丁寧な暮らしだ」という確信に変わる。 この無限のループというのは、本質がそこに隠れていることと合わせて、ある一定のラインまでしか人間的な成長をとげることができないことを意味するんだ、ということにきづきはじめたのはやっと最近です。 ひとは、おしゃれな暮らしを、センスのいい音楽を、超えなければいけない瞬間というのが来るんだと思う。 それに気づけない人は、松浦弥太郎さんの真似をし続けても、決して彼のようにはなれない。 最後に、外側の部分を支えてくれるのは、まぎれもない人間力だからです。 言葉も同じ。 ファッションも、音楽も全部なのだけど、 センスがいいひとは、そこに器用に乗っかることができるがゆえの苦しみを抱えている。 世俗をシャットアウトして排除すればある程度の幸せはもたらされるけど、すごくおしゃれな家に住んでこだわりの一品と暮らしていながら、ひととひととの関わりにもしなやかに対応できる力。 そこが大事なのです。 この辺の矛盾を解消していくと、丁寧な暮らしや自然に寄り添った生活や、オーガニックやら無添加が、本当の意味を持ち始めて、人生をただ彩るだけじゃなくて中心から支えていくことを、これからもぼちぼち伝えてゆけたらいいなあと思う次第であります。 美しい暮らしや音楽や外国、ファッションやアートや言葉や本や写真、そういうものが好きだからこそ、ひととしての強さのようなものをきちんと逃げずに身につけてゆく。 そして、そういうことを知っているひとたちが、松浦弥太郎氏のように 第一線でわたしたちに「丁寧に生きる」素晴らしさについてたくさんのことを教えてくださるのだと思います。
松浦弥太郎さんがすきなひととか。
松浦弥太郎さんとか、雅姫さんとかいとうまさこさんとか。
そういう感じが好きなひと、一言で言えばセンスのいい暮らし、ていねいな暮らしみたいなのをしてるひとに憧れたりとか、そういうのに努めている人種というのがいます。
わたしはちなみに、たぶん他のひとからみると、すごくおしゃれなものが好きで、洗練されたセンスのいい暮らしをしていて、ていねいにていねいに日々を紡いでいる、ように見えることがあるのだけど、この部分は今までの人生のなかでも結構テーマでしたね。
テーマというのは、ひとことで「美しい暮らし」を追いかけることの意味であるとか、その弊害みたいなものをよく知りながら、その中に感じる矛盾のようなものを見つめていた感じ。
いつか若い時は、ただひたむきに、「ていねいな暮らし」を追いかけた時期もあった。
そして何かある時期に、なにかがおかしいぞ?
ということに気づいたのです。
なんというか、わたしは確かに、ある意味ていねいに、ていねいに生きてきたのですね。単にどんくさいということもあるのだけど、なんというか生きづらかったし常に苦しかったので、それを解消するために好きなものに囲まれるように努めたりとか、外国で暮らしてみたりとか、家の中には本当に本当に気に入ったものしか頑として置かない。と徹底的にこだわったりとか。
そういう生き方をしてきた。
でも幸せではなかったのです。
なんだか、いつまでも望みが叶う感じがしなかったし、美しいものに囲まれていても深い部分で満たされない何かを抱えていて。
自分の世界がはっきりとあって、好きなものごとがしっかりあって、自分は他のひととは違う。という強い自己イメージがあるひと。まあ、変わったひとたちというのはたくさん居ますけど、そういう中に放り込まれるたびに凄く違和感を感じるようになりました。
なんだろう?これは?と。
音楽の世界とか、ファッションやアートの世界とか、それ以外でもいわゆる「おしゃれ」な風変わりな人種に遭遇することはとても多かった。なぜなら自分がそういうものが好きだから必然的に個性的なひとが集まる世界に近い場所でうろうろすることになる。
まあ音楽とかファッションやアートは、奇抜なだけでむしろ心に闇を抱えているなんてひとはざらだけど、わたしが特に疑問を感じながら接することになったのが、一番上にかいた、「ていねいな暮らし」的なものを営んでいるひとです。
ダボっとしたテロンテロンのリネンのワンピースみたいのを着て、(ベージュかカーキか辛子色かみたいな)オーガニックという言葉に非常に敏感で、ヒールの靴は一束も持ってなくてナチュラルな風合いのバッグだかを持っている感じ。で、親子でおしゃれなの。
こういう感じのひとを見ると、いつも”一見”穏やかそうで、優しそうで、自分の世界をしっかりと持っていて、ていねいにていねいに人生を営んでいる、はず。なんだけど。なあ。
といろんなことを思うようになりました。
感受性が強く、いいものが嗅ぎ分けられるというのはある意味能力で、それ自体はポジティブなことなのだけど、わたしがなんとかしたかったのは、比較的「自分を強く持っている」人種のほうが、大抵こだわりが強い分生きづらいとか、自分が強くて人間関係でつまづいていたりとか、そううのを抱えがちであるというそういう部分だとおもいます。
自分がまさかそれを作り出しているとは、20そこそこの若かった時期わたしの場合は全然気づいてはいなかったんだけど、「わたしは美しいし賢いしセンスもあるし才能もある、」
それなのになぜわたしはいつもうまくいかないんだろう?
なぜわたしは評価されないんだろう?
なぜいつも嫌な人間関係ばっかりもたらされるんだろう?
それで面白いところが次なんだけど、こういう人種というのは、現実のそういう世界で対人間につまづくと、逃げ場があるのです。
本にアートに音楽に、ていねいな暮らし。作家さんが作った一点ものの器。
松浦弥太郎さんのような文化人の織りなす世界にぴゅっと逃げ隠れてしまうのですね。
すると、すうっと落ち着いて息を吸って吐くののが楽になり
「やっぱり丁寧な暮らしだ」という確信に変わる。
この無限のループというのは、本質がそこに隠れていることと合わせて、ある一定のラインまでしか人間的な成長をとげることができないことを意味するんだ、ということにきづきはじめたのはやっと最近です。
ひとは、おしゃれな暮らしを、センスのいい音楽を、超えなければいけない瞬間というのが来るんだと思う。
それに気づけない人は、松浦弥太郎さんの真似をし続けても、決して彼のようにはなれない。
最後に、外側の部分を支えてくれるのは、まぎれもない人間力だからです。
言葉も同じ。
ファッションも、音楽も全部なのだけど、
センスがいいひとは、そこに器用に乗っかることができるがゆえの苦しみを抱えている。
世俗をシャットアウトして排除すればある程度の幸せはもたらされるけど、すごくおしゃれな家に住んでこだわりの一品と暮らしていながら、ひととひととの関わりにもしなやかに対応できる力。
そこが大事なのです。
この辺の矛盾を解消していくと、丁寧な暮らしや自然に寄り添った生活や、オーガニックやら無添加が、本当の意味を持ち始めて、人生をただ彩るだけじゃなくて中心から支えていくことを、これからもぼちぼち伝えてゆけたらいいなあと思う次第であります。
美しい暮らしや音楽や外国、ファッションやアートや言葉や本や写真、そういうものが好きだからこそ、ひととしての強さのようなものをきちんと逃げずに身につけてゆく。
そして、そういうことを知っているひとたちが、松浦弥太郎氏のように
第一線でわたしたちに「丁寧に生きる」素晴らしさについてたくさんのことを教えてくださるのだと思います。
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