All is good 2回目 昨日は旦那氏休日で、朝から高校の同級生のおうちにBBQへ行った。 帰宅したのは20時過ぎ。 なんだろう、モヤモヤして。 その正体がわからず。 遅い!って怒ってるのかな… 自問自答、そのまま風呂へ。 2回目のAll is good 投入。 旦那氏が遅くなったことで、何故モヤモヤしてるのか。 連絡がなかったこと→それは全然抵抗ない。 1人だけ楽しんでる→あっ、何か悔しい ん、、、 そう、1日帰ってこなくても、それがもし「仕事」だったとしたら何も腹立たない事に気づく。 「仕事」だと良くて、 「遊び」だと駄目。 何、何この価値観。 何この固定観念! 自分の中で激しく反応するのがわかった。 仕事は苦しくて、苦しいことを頑張ってるのは良いこと。 遊びは楽しくて、楽しいことをするのは悪いこと。 というビックリ意識が、自分の中に横たわってることに気付いた。 うげぇぇぇ… で、ほじほじしてみたら、 仕事も、遊びも、同じだよね。 まぁ例えば天秤に乗っけたとしても、 両方同じ重さなのにね。と思った。 苦しいことをがんばるのは、とても崇高なことであって。 それは本当に尊い行為だと思う。 しかし楽しいことをするのも、 ストレスとしてはふつうにかかってるわけだし、 楽しいことから得るエネルギーも本当に強いんだから。 質が違うのかな、両者。 解明までは至らなかったけれど、自分の固定観念をまたひとつ明らかに出来た実りある風呂でした。 よきよき。 本日もAll is good 。 遊ぶのってこの世でもっとも難しいことのうちのひとつだと思うわ。わたしは。 不安から、仕事をしなければいけない、遊びはいけない、 という思い込みはさっさと外したほうがいいとは思うけど、 それでもやっぱり何ていうか、 ただ「遊んでいるだけ」っていうのには抵抗感がつきまとう。 ただ、 ”仕事も、遊びも、同じ” というのはひとによっての認識によるのかと。 逆に、仕事をするからこそ遊びの時間が際立ち、 遊びをするからこそ、仕事にハリが出る。 わたしの場合は、仕事というか「日常」と「非日常」のコントラストがすごいあるので、時々遊びにいったあとなんかは、ものすごく日常に安心感を覚えたりする。 仕事が楽しく進行するために、時々違うものを差し込む、というのは一般的な感覚かもしれないですね。 わかりやすく、世間でいうところの決まった時間にどこかに勤めている場合、それが「仕事」と認識されていて、バーベキューは「遊び」になる。 でも、例えば先日わたしが「岡田哲也に会いに行く」とバンジージャンプを飛んだ件ですが、 岡田哲也という人間は、「遊園地で遊ぶ」ってことがそのまま仕事なわけ。 は?って思うけど。 わたしはちなみに、世間一般でいうところの「遊び」として、もしクライアントさんとみんなで一緒にお茶しよう! ってなったら、まあ仕事でもあるけど遊んでる感覚だし 何か作ったり書いたりするのはある意味息抜きだから、遊びでもある。 どこからどんなエネルギーをもらうかとか、 何をして、ストレスの調節をするか、 というのは人によってかなり違いがあるから それを、自分の場合とそのまま重ね合わせてしまうと ややこしいことになるので、 ただ、自分にとってはこれが息抜きで、他人はまったく違うもので息抜きをするかもしれない。 という理解も大事。 でも多くの場合は、単に自分が やりたいことをバランスよくやれていない鬱憤を、 相手にぶつける(怒りを感じる)ことがほとんどだと思うので 理解したり尊重したり相手をコントロールなんてまったくしなくても、 ただ自分が「これ」と思うことを ちょっと「遊び」としてやってみたりとか、同じくらい、尊いとおもうことがあるのなら、それを仕事として全力を尽くす、 とかやれるようになってくると 勝手に、誰が何してようとも、気にならなくなると思います。 自分が(ほんとうはやりたいのに)何かをして強い罪悪感を感じるようなことを 小さなことからやってみると良いです。 素敵なカフェでひとり子供預けてお茶、でもいいし、 普段は買わない無駄な雑誌を一冊買ってみる、 とか小さなことからたーくさんやるといい。 わたしはちなみに、会いたい人に会う、とか学び、は外国だろうがいくらお金がかかろうが、フットワークが軽いですが、 ただ近郊に息子と旅行にいく。 とかは死ぬほどゲロ吐くかと思うくらいハードルが高いです。 今回はそういうチャレンジも含まれていたので、 苦手克服の第一歩。 ○ 余談ですがに、黙りこくっていたわたしに お前は一体どうしたいんだ?と キレたあとの遊びの天才哲也、さらに黙っているわたしに、 「じゃあおれが、マツナガー!!ジェットコースター、いこうぜーイエーー!!って誘ったとして、行くわけ?」 って訊いてました。 (….。) またご購入されたかた、バスソルトの風呂での気づきなど メッセージおくってくださいね〜。 商品のお問い合わせも引き続き、お待ちしています♪ https://ephias.com/blog-old/category/kioskne商品のリスト
仕事はよくて、遊びはダメ。
All is good 2回目
昨日は旦那氏休日で、朝から高校の同級生のおうちにBBQへ行った。
帰宅したのは20時過ぎ。
なんだろう、モヤモヤして。
その正体がわからず。
遅い!って怒ってるのかな…
自問自答、そのまま風呂へ。
2回目のAll is good 投入。
旦那氏が遅くなったことで、何故モヤモヤしてるのか。
連絡がなかったこと→それは全然抵抗ない。
1人だけ楽しんでる→あっ、何か悔しい
ん、、、
そう、1日帰ってこなくても、それがもし「仕事」だったとしたら何も腹立たない事に気づく。
「仕事」だと良くて、
「遊び」だと駄目。
何、何この価値観。
何この固定観念!
自分の中で激しく反応するのがわかった。
仕事は苦しくて、苦しいことを頑張ってるのは良いこと。
遊びは楽しくて、楽しいことをするのは悪いこと。
というビックリ意識が、自分の中に横たわってることに気付いた。
うげぇぇぇ…
で、ほじほじしてみたら、
仕事も、遊びも、同じだよね。
まぁ例えば天秤に乗っけたとしても、
両方同じ重さなのにね。と思った。
苦しいことをがんばるのは、とても崇高なことであって。
それは本当に尊い行為だと思う。
しかし楽しいことをするのも、
ストレスとしてはふつうにかかってるわけだし、
楽しいことから得るエネルギーも本当に強いんだから。
質が違うのかな、両者。
解明までは至らなかったけれど、自分の固定観念をまたひとつ明らかに出来た実りある風呂でした。
よきよき。
本日もAll is good 。
遊ぶのってこの世でもっとも難しいことのうちのひとつだと思うわ。わたしは。
不安から、仕事をしなければいけない、遊びはいけない、
という思い込みはさっさと外したほうがいいとは思うけど、
それでもやっぱり何ていうか、
ただ「遊んでいるだけ」っていうのには抵抗感がつきまとう。
ただ、
”仕事も、遊びも、同じ”
というのはひとによっての認識によるのかと。
逆に、仕事をするからこそ遊びの時間が際立ち、
遊びをするからこそ、仕事にハリが出る。
わたしの場合は、仕事というか「日常」と「非日常」のコントラストがすごいあるので、時々遊びにいったあとなんかは、ものすごく日常に安心感を覚えたりする。
仕事が楽しく進行するために、時々違うものを差し込む、というのは一般的な感覚かもしれないですね。
わかりやすく、世間でいうところの決まった時間にどこかに勤めている場合、それが「仕事」と認識されていて、バーベキューは「遊び」になる。
でも、例えば先日わたしが「岡田哲也に会いに行く」とバンジージャンプを飛んだ件ですが、
岡田哲也という人間は、「遊園地で遊ぶ」ってことがそのまま仕事なわけ。
は?って思うけど。
わたしはちなみに、世間一般でいうところの「遊び」として、もしクライアントさんとみんなで一緒にお茶しよう!
ってなったら、まあ仕事でもあるけど遊んでる感覚だし
何か作ったり書いたりするのはある意味息抜きだから、遊びでもある。
どこからどんなエネルギーをもらうかとか、
何をして、ストレスの調節をするか、
というのは人によってかなり違いがあるから
それを、自分の場合とそのまま重ね合わせてしまうと
ややこしいことになるので、
ただ、自分にとってはこれが息抜きで、他人はまったく違うもので息抜きをするかもしれない。
という理解も大事。
でも多くの場合は、単に自分が
やりたいことをバランスよくやれていない鬱憤を、
相手にぶつける(怒りを感じる)ことがほとんどだと思うので
理解したり尊重したり相手をコントロールなんてまったくしなくても、
ただ自分が「これ」と思うことを
ちょっと「遊び」としてやってみたりとか、同じくらい、尊いとおもうことがあるのなら、それを仕事として全力を尽くす、
とかやれるようになってくると
勝手に、誰が何してようとも、気にならなくなると思います。
自分が(ほんとうはやりたいのに)何かをして強い罪悪感を感じるようなことを
小さなことからやってみると良いです。
素敵なカフェでひとり子供預けてお茶、でもいいし、
普段は買わない無駄な雑誌を一冊買ってみる、
とか小さなことからたーくさんやるといい。
わたしはちなみに、会いたい人に会う、とか学び、は外国だろうがいくらお金がかかろうが、フットワークが軽いですが、
ただ近郊に息子と旅行にいく。
とかは死ぬほどゲロ吐くかと思うくらいハードルが高いです。
今回はそういうチャレンジも含まれていたので、
苦手克服の第一歩。
○
余談ですがに、黙りこくっていたわたしに
お前は一体どうしたいんだ?と
キレたあとの遊びの天才哲也、さらに黙っているわたしに、
「じゃあおれが、マツナガー!!ジェットコースター、いこうぜーイエーー!!って誘ったとして、行くわけ?」
って訊いてました。
(….。)
またご購入されたかた、バスソルトの風呂での気づきなど
メッセージおくってくださいね〜。
商品のお問い合わせも引き続き、お待ちしています♪
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